どんな状況からでも学べることはある。

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どんな状況からでも学べることはある。

阪神・淡路大震災の際は神戸市須磨区に、東日本大震災の際は神奈川県に住んでいました。

いずれも、全く予期せぬ出来事で、震災後は日々の生活もままならないような状況が続きました(特に神戸の時は大変でした)。さらに、リーマンショックの際も仕事面でかなり影響を受けました。

しかし、それらと比べても、今回の新型コロナウイルスは全く別モノというか、別格です。

個人的に思うことはいろいろありますが、これが現実かと見まがうような世の中になってしまった以上、いまできることに静かに応対していくほかありません。

いずれにせよ、どんな状況からでも学べることがあります。まだまだ先行き不透明ですが、今回の騒動で私が感じているのは2点です。

一つは「志村けんさん」の訃報を聞いて恐らく誰もが感じたであろう「死はいつでも傍にある」ということ。そしてもう一つはいまこそ進化を遂げるチャンスであるということです。

まず死について。「この人生は幸せだったと思いながら死にたい。」「思い出として残せる経験や体験をたくさんしたい。」というのは、サイトにも掲載していますし、これまでのコラムに書いてきたことです。

そして最近、もし自分が先に逝った場合、残された親しい人達に、自分はどういう人間だったと言ってもらいたいか、を意識しながら生きて行こう。それを強く考えていた矢先の訃報でした。

本当に、人生いつどうなる分かりません。だから、これからの人生をどう生きるかの、いわば指針を明確化するということですね。

そしてもう一つの進化を遂げるチャンス。よく言われる話ですが、生き延びるのは、強いからでも、大きいからでもなく、環境に順応できたものです。

自分ではどうしようもない状況を憂いても何も生まれません。この環境や状況に順応して、新たな自分、新たな生き方、新たな働き方を見つけていく、絶好の機会だと思うのです。

時代が進めば、きっと「昔はよくあんな不便で、意味のないこと、大変なことをしてたよなー」と感じるはずです。正直、これからどうなるか、不安は拭えないですが、少しでも良い方向に進んで行って欲しいですよね。

メインの写真は、若い頃、流行っていたコロナビール。今回のコロナ騒動で、売り上げが落ち、あげく生産中止に追い込まれたのだとか。とんだとばっちりですね。