生きて何を残すか。
八十年も前に出版された「君たちはどう生きるか」という小説がいま再ブレークしています。
宮崎駿が次作映画のタイトルを本作から取って「君たちはどう生きるか」としたと発表されたのでご存知の方もおられるでしょう。
「どう生きるか?」と問われても、すぐに答えられるような簡単な設問ではありませんが、私自身で言うと、父が亡くなった十二年前に考えたのが、この「(父は)どう生きたのか」ということと、同じ意味で「(父は)生きて何を残したのか」ということでした。
何故そう思ったかというと「人間ってあっけなく死ぬな」と率直に感じたからです。
父は、地位や名誉があった訳でも多くの財産を残した訳でもありません。
だから「何を残したのか」と聞かれれば、特別なモノは何も残していません。
もちろん「残して欲しかった」と思っていた訳でもありません。でも思わず「どう生きて」「何を残したのか?」「何が残ったのか?」と考えてしまうほど「キレイに消え」いきました。
ですから父の人生に起こった様々な出来事や、様々な感情や想いなどをひっくるめて、何が残ったのだろうと考えてしまったのです。
私も五十歳を過ぎると不思議と「人生を終える時に何を残すか決めよう」と考えるようになりました。
と言ってもあの世には持って行けませんからモノではありません。つまり「死ぬ時にどういう想いを残すか」ということです。
その想いと「積んだ徳」だけは死んでも持って行けるのではないかと思うのです。
具体的にはこうです。
「自分なりに様々な事にチャンレンジできたという想い」、「たくさんの良い人たち(友人や家族)に恵まれ幸せだったという想い」、そして、「(大変な人生だったが)人生を生ききったという想い」を持って三途の川を渡りたい。それが実現できるよう生きて行きたいと考えています。
父がどういう想いを持って旅立ったのか知る術はありませんが「よい人生だった」と想ってくれたのではないかと信じています。
先の小説と合わせて「燃える男・星野仙一」の訃報を聞き、改めてまた「どう生き、何を残したか」について深く考えてしまった年の始めでした。