坂本龍一の訃報を聞いて。
坂本龍一が亡くなりました。
中学生の頃からの長年のファンだったということと、同じYMOの高橋幸宏が亡くなり、まだ傷も癒えていないところでの訃報だったので、自分でも驚くほどの喪失感に苛まれています。
ジュリー好きな小学生が中学生になり、音楽好きの友人から「海外で大人気になっている日本人バンドがいる!」と教えて貰いすぐに熱中。
興奮冷めやらぬまま、初めて行ったコンサートが、1980年に開催されたYMO初の国内ツアーでした。
YMOの中でも、高橋幸宏が一番好きで最も影響を受けたと思っていたのですが、坂本龍一が亡くなり、想像以上のショックの大きさに自分でも驚いているのです。
YMOの代表曲と言えば「ライディーン」が有名ですが、思い起こせば、自分的にはYMOをイメージする曲と言えば坂本龍一が作曲した「テクノポリス」でしたし、先日、生まれて初めて美容院で「こんな髪型にしてください」って写真を見せたのが(中学生か!)、若かりし頃の坂本龍一の写真だったり・・・。
それはさておき、高橋幸宏や坂本龍一逝去のニュースを受け「なぜこんなに衝撃を受けるのだろう、普段会っている人でもないのに」と自問してみました。
もちろん好きな人が亡くなるのが辛いのは当然ですが、好きだったプリンスやルー・リード、さらには最も好きな海外アーティストだったデビッド・ボウイが亡くなった時でさえ、ここまで衝撃を感じなかったのになぜだろう?と考えてみた訳です。
その答えはこうでした。「もう永久に、会って話をすること、話を聞くことが叶わないから」。
亡くなったことにより、会える可能性、話せる可能性がゼロになってしまった事に、一番衝撃を受けたのでした。
もちろん、もしまだお二人が存命でも、会える可能性は殆どありませんが、ゼロではありません。
しかし、亡くなったことにより、会える可能性はゼロになってしまったのです。
可能性が殆どないことと、可能性がゼロであることの違いは、とてつもなく大きな違いであると改めて気づいたのです。
そしてやはり、同じ日本人で日本語でコミュニケーション出来るということは大きなことだとも感じました。
とにもかくにも、可能性があること。
もうこれだけで凄い事なんですよね。
そして希望が持てることなんです。