自分を諦め、自分を手放す。
最近お会いできてないが、生涯唯一のメンターと仰ぐ人がいます。
自分より一回り以上も年下のまだ三十代なのですが、その方から、いつも言われていた言葉があります。
——————————
自分を諦めなさい。
自分を手放しなさい。
——————————
言葉は簡単なのですが、全く意味が分からず、というか実は、いまだによく分かっていません。
未来の自分に期待しない?
満たしたい過去を未来に求めない?
自分というものに固執しないで
流れに身を任せる?
全体の中に自分を委ねる?
考えれば考えるほど分からないです。
まるで禅の世界です。
しかし、要するに、考えずにただ受け入れるしかないのでしょう。ただあるがままを受け入れる・・・。そう言えば10年ほど前に、ちょうど厄年の年にインドに行ったのですが、そこで悟ったのがこんなことでした。
「自分は自分以上でも、自分以下でもない」
人生を生きていると、ついつい些細なことで一喜一憂してしまうことあります。異性との出会いを求めて活動しているとなおさらです。
ただ、結局良い相手かもしれなかったのに、細部にこだわってこだわり過ぎていたり、プライドが邪魔をしたり、等身大の自分が分かっていなかったばっかりに、みすみす好機を逃すことが多いような気がします。
そういう観点からこの師匠の言葉を考えて見ると、結局、こだわりや思い込み、偏見、過度な期待と、意味のない絶望などを捨てることかなと思ったりします。
手放す、諦める、捨てる、・・・・要するに断捨離ですか。まぁ、実際のところは奥が深すぎて本当に分からないのですが・・・。
モノも気持ちも、無駄なものを無くして、キレイで丁寧に生きることはなんとなく、豊かな人生を送れているようなイメージがありますね。
そういえば、作家の小林正観が提唱する、生きることが楽しくなり、すべてが“幸せ”色に変わるキーワード「そわか」は、「掃除」「笑い」「感謝」の3つだとか。掃除が入ってる!まずはキレイにですね。
*写真は10年前に行ったインド・バナラシ&アグラ&ブッダガヤにて撮影したもの。
最初の写真のように、制服を着てスクールバスに乗って学校に通う小学生もいれば、
裸足で、小学校も行かず子どもの面倒も見る子どももいる。
ガンジス河で沐浴するインド人たち。近くには火葬場があり死体を焼いている。
夕暮れのガンジス河。神聖な気分になる。
タージマハールは美しかった。インド人と外国人は入場料が違った。